アーサー王物語 は何語で書かれてますか?

Writer: admin Type: changeable Date: 2018-12-25 00:00
アーサー王物語 は何語で書かれてますか?共感した0###ご質問にある「アーサー王物語」って何をイメージして仰っているのか、って事にもよるのですが…一般に「アーサー王物語」とか言ったタイトルで出版されている本は(全てかどうかは勿論私には確認できませんが、私の知る限りでは)、15世紀の後半にイングランドで書かれた『Le Morte d'Arthur』(直訳すれば『アーサー王の死』)のダイジェスト版です。で、『Le Morte d'Arthur』は、当時の英語、英語の変遷の歴史では“中英語と呼ばれるもので書かれています。米国ミシガン大学のWeb(↓)でその原文で見られますが、https://quod.lib.umich.edu/c/cme/MaloryWks2/1:3.1?rgn=div2;view=ful...本文の一番最初は…HIt befel in the dayes of Vther pendragon when he was kynge of all Englond / and so regned that there was a myȝty duke in Cornewaill that helde warre ageynst hym long tymeで始まっています。これを現代英語に直すと、It befell in the days of Uther Pendragon, when he was king of all England, and so reigned, that there was a mighty duke in Cornwall that held war against him long time. になります。一応、両方とも英語であるのはお分かり頂けると思います。現在一般に「アーサー王物語」と言うとイメージされるものの「原著」はこれです。そういう意味で「アーサー王物語」と仰っているのならば、英語で書かれている、と言ってもよいのでしょう。一方、アーサー王伝説の形成過程で見るならば…成立年代がある程度推測できる現存最古のアーサーに関する記述は、今で言うウェールズに伝わった、9世紀前半成立の「Historia Brittonum」(直訳すれば“ブリトン人の歴史)と言う史料です。これはラテン語で書かれています。但し、この本でのアーサーは、・ブリトン人の王達と共にサクソン人と戦った「軍事指導者」だった(彼自身は王であるとも王で無いとも書いていない)・彼の戦いとして12の戦いが挙げられ、その最後のベイドン山(あるいはベイドンの丘)の戦いでは一度に960人の敵を斃したといったところです。そしてウェールズ出身とも思われるキリスト教の聖職者ジェフリー・オブ・モンマスが、12世紀前半(1136年頃)に書いた『Historia Regum Britanniae』(直訳すれば『ブリタニアの王達の歴史』、『ブリタニア列王記』と訳すのも勿論OK)は、ブリトン人の歴史を、ローマの建国伝説の英雄アエネアスの血をひくブルトゥスが巨人しかいなかったブリテン島に来て巨人達を破って初代のブリトン人の王になったところから記述していて、この本でのアーサーは、サクソン人を負かしただけでなく、アイスランド、デンマーク、アイルランド、ゴール(現在のフランス)を征服した偉大な王で、いよいよローマ帝国皇帝と雌雄を決しようとした時にモルドレッドの反乱が起きた、って事になっています。これも(古英語ではなく)ラテン語で書かれていました。(尚、12世紀前半時点のイングランドでは支配階層はフランス語を話しており、英語は、どっちかというと、農奴など“無教養な連中”の話す言葉とされていました。)ただ、元々のアーサーの伝承は(今で言うところの)ウェールズ人の中に伝わったものであって、当然ながら今で言うウェールズ語での伝説だったはずで、『Historia Brittonum』にしろ『Historia Regum Britanniae』にしろ、文章はラテン語で書くのが当り前と思っていたキリスト教聖職者が、“歴史”のつもりで(ふりをして?)書いたから、ラテン語で書かれている、と考えるべきでしょう。そして、恐らくこの『Historia Regum Britanniae』が大きなキッカケの一つになって、中世に各地の詩人がアーサー王に関連する創作を大量にしました。その言葉は、当然ながら、フランス語話者に対する創作は当然(その時点の)フランス語で、ドイツ語話者に対する創作は(その時点の)ドイツ語でした。例えば、12世紀後半にランスロットをアーサー王伝説の中に初登場させたクレティアン・ド・トロワというフランスの吟遊詩人は、フランス語の歴史で言うと古フランス語(9世紀半ば頃から14世紀半ば頃までのフランス北部で話されていた言葉)で書いています。こういった中世の詩人達の数多くの創作を、一応時系列っぽく並べて(その当時の)英語でまとめたのが、冒頭に挙げた『Le Morte d'Arthur』(直訳すれば『アーサー王の死』)です。ですから、「アーサー王物語」のそれぞれのパーツの『元』を辿ると、古フランス語の比率は高くはなるでしょうが、(今で言う)ウェールズ語も含まれますし、一言で「○○語で書かれた」と言える様なものではありません。(余談)1136年頃にジェフリー・オブ・モンマスが書いた『Historia Regum Britanniae』(“ブリタニアの王達の歴史”或いは『ブリタニア列王記』)はラテン語で書かれていますが、この時期自体は、英語史で言うと、古英語から中英語に変わったぐらいの時期です。それ以前の古英語は、いわゆる「アングロ・サクソン」が大陸から持ち込んだ言葉で、『ローマ化したサクソン人とケルト人の言葉が入り雑じった言葉』ではありません。ナイス0
###アーサー王が初めて登場するお話しは、1136年に書かれたブリタニア列王記です。これは、古代英語で書かれています。英語と言ってもサクソン人の言葉で現代の英語とは、ちよっと違います。ローマ化したサクソン人とケルト人の言葉が入り雑じった言葉です。そして、アーサー王物語が書かれたのは、1150年頃と言われています。こちらは、ノルマン=フランス語で書かれています。ノルマン=フランス語とは、ノルマン人が今のフランスのノルマンディー地方からやってきてイギリスを征服します。彼らが話す言葉でノルマン訛りのフランス語です。ナイス0

 

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